2010年12月15日水曜日

Mbuliaの人々に再び出会った~♪

2010年 12月23日

VOI行きのバスに乗った私の頭ん中は、
下條アトムが私の旅をナレーションしていた。

「加藤、再び~Mbuliaの人々に~~出会った~~~~♪」の巻。
テレリラレレ~レレ~レレ~レレ~・・・・♪


私が2年半前ケニアに来た時、初めて下り立った地が「Mbulia」という村。
今回2年半ぶりに村の人たちと再会してきた。


仕事を辞めて、髪をバッサリ切り、小さなバックパックに3カ月分の荷物を詰め込んで、
電気も水道もない地図にも載ってない村にやってきたのは、2008年5月。

当時のケニアは前年の大統領選挙の暴動の影響で、
ほとんどの援助団体、ボランティアが撤退。
そんな事もつゆ知らず、たった一人でのん気にケニアにやってきた私。

当時の生活といえば・・・・・






                      朝5時。ニワトリの目覚まし時計と共に起床。



                      片道1.5km,20Lの水汲みにでかけ・・・



                       もちろん私はヘナチョコなので5L×2



                         3つ石かまどでご飯をつくり、

 

                         お風呂は可愛いらしく、タ・ラ・イ!




                          全身ダニに刺された事もあったっけ~~・・・・







Mbuliaはツァボイースト国立公園の中に村が位置していて、乾季の時期になると、象が水を求めて村に出没する。
赤土の為、赤く染まった「赤象」が夜な夜なトイレに行く途中、ばったり出くわす事もあったり・・・。



         電気はなくて、その代りランプの明かりでご飯を食べる。


夕食の後、マオ(お母さん)がランプの明かりの中、歌を歌ってくれる。騒音も何もない静かな村で、マオの歌声が幸せな空間を創る。

庭にある大きなバオバブの木の下で、夜空に埋まった満点の星空を見ながら、温かいチャイ(ミルクティー)を飲む。
本当に至福の時で、何もない村だったけど、日本にいる時の何倍も「幸せだなぁ~~・・・」(加山雄三 風)と実感した。
仕事を辞めストレスフリーな生活と、大量のウガリと草を食べてたせいで、体重が8Kgも激増したケド~・・・ 笑


今回来たのはクリスマスの23、24、25日。















            みんな変わらず元気な姿で、健康で、本当に嬉しかった~~。

 「神戸のルミナリエなんて屁だわ。」 ってくらいの満点の星空が、最高のイルミネーション。
 ゴザをひいて、しばらくみんなでイルミネーションを眺めた。



                     クク(鶏)をご馳走になり、


               クリスマス当日には、山羊を丸々1頭さばいてくれた。



                    南無南無チーーーン。ご馳走様。


              ・・・と、思ったら、そのすぐ横で新たな生命の誕生を見守る。

                   生と死を同時に体験した瞬間だった。






       2年半前、3か月間水も電気も何にもない村で生活できたのも、
       温かいアフリカの家族に出会って、アフリカの大自然と時には厳しさにも触れて、
       「生きる」ってこうゆーことなんか、って肌で感じられたから。
       問題は山積みなのに、何故か心が満たされる感覚があったから。
       それは今回来ても感じた事。


大好きなMbuliaの家族が、引き続き明るく、大きな病気・怪我もなく、健康で、平和に暮らせますように。



              また元気な姿で会えますよーに。


            Tutaonana tena!!!





2010年11月15日月曜日

My name is KINAKO




      「コンニャチワ。”キナコ” デス。 

      センシュウ ナイロビ カラ アヘロ ニ キマシタ。 

      トシ: 3カゲツ ニャ。

      スキナ タベモノ: ギュウニュウ ニクジャガ オメナ(小魚) レイゾウコ

     
      ココハ、アツイニャ~~。ミズ モ ナイニャ~~。デンキ モ トマル ニャ~~。
   
      デモ、オメナ ノ イイカオリ ガ スルニャ~。  

       
     
      アサ ハ 6ジ ニ ”ネコパンチ” デ ユミ ヲ オコシマス。

      デモ ナカナカ オキナイ ニャ~。

      モット ナカヨク ナリタイニャ~。


      アヘロ ニ イマス。

      ヨロシクニャ。」



                                       I love sleeping☆
     

     

     

2010年10月15日金曜日

My African Family

6年ほど前、香港に行った時ある占い師に未来を占ってもらった。

多くの内容は忘れてしまったけど、一つだけ今でも覚えている言葉がある。

「アナタ、トテモマモラレテル。ピンチノトキ、タイヘンナトキ、イツモダレカガタスケテクレル。
 アナタノマワリニハ、ツネニソウユウヒトガイル。」



その時はふーーん、って感じで流して聞いていたものの、
その後数年経ってから、時々ふとその言葉を思い出すようになった。
というか、それを実感するようになった。

今回もここケニアに来て、それをよく感じる事がある。
私の事を守ってくれている優しい人たちが周りにいる。
特に私の隣に住む「コスマス一家」 
私のセキュリティのアンテナが低いせいもあってか、私以上に私の安全(&それ以外の事も)を常に気にかけていてくれる。
12歳の息子スティーブは、私が寝坊して12時まで寝てると、
「どうかしたの?風邪引いたの?病気?」と心配してくれ、
「遠出するときは、出かけてる事を知られちゃだめだよ。だから南京錠は中から掛けて裏口から出るんだよ!」とアドバイスしてくれたりする。


私がナイロビに出かける事を知らせなかったとき、
何かトラブルに巻き込まれたんじゃないかと、ずっと心配していてくれた。


また、夜中にキッチンの水が出始めるのをいい事に、キッチンのドアを開け
カレーライス・あんこを作っていた事があった。
キッチンから聞こえてくるあんこを何度もつぶす音、大量の水の音、炒め物の音・・・
父コスマスは私の家が襲われていると思い、自分の家の電気を全てつけ、
すぐさま電話をしてきた。
「大丈夫か?!誰かいるのか?!助けはいるか??!」

「・・・・・???」

のんきに夜中cookingをしていた私は、お隣さんがえらいパニックになっている事に
初めて気づいた。

「もうすぐで近所みんなに電話をかけるところだった!
 ゆみ!キッチンのドアは夜中開けちゃダメ!誰かが入ってきたらどうするの!」

「すんまへーーん夜中に。。。」

心配かけまくってるのに、私を娘のようにいつも気にかけてくれている。

「何かあったら、近所みんなで守るから。夜中でも何でもすぐに駆け付けるから。ゆみは家族の一員だから。」

本当に私守られてる、とつくづく感じる。


あとは、もうちょっと私の危機管理ちゃんとしんといかんと思うばかり・・。






2010年10月14日木曜日

事件は会議室で起こっているんじゃない!現場で起こっているんだ!!

織田祐二も言いました。

「事件は病院で起こっているんじゃないんだ!村で起こっているんだ!!!」

・・・っとゆうわけで、実際病院にもアクセスできず、情報の届かない場所に住んでる住民にこそ、
何らかのアプローチが必要だと思う。

最近仲良くしてもらっている、VCTカウンセラーたちと共に、本日コミュニティーへ。(MVCT)
カウンセリングとHIVテストをし、早期の段階で治療・アクセスを目指すために。



kawino south location in Nyando




幹線道路をはずれ、ぐんぐんと農村へ入って行く。
羊をよけ、ロバをよけ、牛をよけきれず道をゆずりながらバイクで進む事40分。


たくさんの女性とbabyたちが出迎えてくれた。 
この多くが自宅で出産をし、HIVのステータス(HIV陽性か否か)を知らないでいる。(※ケニアでは妊娠時、病院で全員の母親にHIVテストを実施)

早速テントを張り、カウンセリング&テストを実施していく。







←双子の母親。
彼女も自宅分娩をし、本日テストにてHIV陽性である事を知った。













↑母子感染の可能性もあり、1歳になる彼女のbabyの踵に針を刺し、HIV検査をする。
「どうか、赤ちゃんにだけは感染していないでほしい・・・・」

そんなささやかな祈りも通じず、
10分後、検査キットには2本のラインが浮かび上がった。(=陽性である事を意味する)

まもなくもう片方の双子のbabyもHIV陽性と判定された。


母子感染は、妊娠時よりARV(抗HIV薬)を飲み、出産時と産後にもARVの内服+babyにも1週間ARVの内服でかなりの確率で母子感染を防げる。
もし、適切な治療を受けていたら、もしステータスを知っていたら、母子感染を防げていたのに・・。
自身の陽性と、小さな双子もHIVと分かった彼女。
今後考えられる様々な困難を考えると、本当に胸がしめつけられる思いがした。









↑1歳半のルーシー、HIV陽性。
全体的に痩せこけ、栄養失調の状態。叔母に連れられてきた。

ルーシーの家を訪れると、痩せこけた母親がベッドに横たわっていた。(右写真上)
まだ20歳ながらも、実際かなり年老いてみえる。
夫は数日前より帰ってこず、食料もなく、病院からもらった栄養補助食をコップ一杯/日 摂取しているのみ。


今日見た現状はほんの一部で、まだまだ病院にもアクセスできずにいる村の人たちが、たっくさんいる。
特に、母子感染に関しては「防げる感染」なだけに、この状況はショック。


思うのは、出来るかぎり、足を運ぼう。
一部の恵まれたケニアだけ見るんじゃなくて、
今起こっている現状を、ちゃんとこの目で確認しよう。

世界を100人の村に縮小すると、

80人は標準以下の居住環境に住み

70人は文字が読めず

50人は栄養失調に苦しみ

1人が瀕死の状態にある



まずは、そこを見る事から始まる気がする。



2010年9月8日水曜日

「DOOM」 All insect Killer! Ultra fast!!



オールインセクトキラー!ウルトラファスト!!
しかも今なら50%エクストラfree!


家に住み始めて以来、
毎日出くわすケニア版巨大ゴキブリ、大量のアリ、ヤモリ、時々カエル。
日中は近所で暇そうに遊んでいる子供たちを呼んで、
即退治してもらう。しかし、問題は夜動き出すゴキブリたち。
今や私の唯一の救いのアイテムはこの「DOOM」スプレー。(殺虫剤)
こいつを一たび吹きかけると、気持ちいいくらいあらゆる虫たちがひっくり返って行く。

ゴキブリに出くわすと、
一度は青ざめ心が萎えるも、
いざDOOM片手にゴキブリをしつこく追跡!
殺意を込めて、いざ噴射!


ヨタヨタと方向感覚を失い、
ついにはひっくり返り、昇天。


勝った・・・とほくそ笑む私


大量のアリが出た日にも、
行列めがけて噴射again。
見る見るうちに動きが鈍くなり、
ひっくり返って行くアリたち。
死んでいくアリたちを嬉しそうに眺める私は、どこか異常・・・?

ケニアに来て、どれほどのアリ・ゴキブリたちを殺したんだろうか。

ともあれ、今私の大事な必殺アイテムDOOM様。


今日もありがとう

2010年5月2日日曜日

二本松訓練所生活 25日目

「おいおい、どんだけ山登んねんっ・・」


って突っ込んで以来25日経過。 山奥での訓練生活も中盤に差し掛かってきた。

娯楽という娯楽施設は一切ないため、考える事っていったら、勉強・飯・恋 の3点のみ。

204人と毎日共同生活。 

かなりの特殊な環境で生活してます。

理性を失わないように・・・本質を見失わないように・・・って意識してないと、

結構危うくなるから危険な環境だ。


とはいえ、かなり充実した生活を送ってます。

昨日は所外活動できゅうりの農家へ。


       畑はここ数日の雨で田んぼと化し、裸足でドブネズミとなりながらビニールシートかけのお手伝い。


        生活班の雰囲気が好きで、まさにfeel like homeです。。


                骨盤体操

                そして今日は生活班メンバーのBirthday

                朝から英語のホームクラスでケーキ作り・・・





                         夜は岳で班飲み






                            カラオケ最高↑

               勉強に励み、時にハメはずしつつ&トキメキもあじわいつつ・・・


                     っえ、これって青春と呼ぶのかしら・・・?

2010年4月15日木曜日

打ち上げられたヒトデ



昔、一人の少年が浜に打ち上げられたヒトデを
1ヶずつ海に投げ返していました。
そこに居合わせた大人たちが無数に打ち上げられたヒトデを見て、
「数千、数万とあるのに無駄だよ」
と言い聞かせたところ、
「でも僕が投げ返したヤツは助かるから」と答えた。

たいして能力もない私がアフリカ行って何ができる??
そんな戸惑いがおきるときはこの話を思い出すようにしてる。

私がよく読んでる
国連職員 野副美緒さんのブログより↓ http://miomiomiomio.dreamlog.jp/

昔、青かったボランティア時代に仲間と夜な夜な繰り返した
「偽善か偽善じゃないか」なんて議論はもうしないのだ。
私たちが今できることを、できる範囲でやって
周りの人がちょっとでも幸せになったら、そして
手助けできる立場にいる人が全てその心意気でやったら
明日はきっとちょっと明るい、そこがスタート地点でいい。

大きな問題を大きなまま解決するには
私たちは無力すぎるから。
大きな問題を粉々に砕いて、
目の前に落ちてきた小さな動く現実に
愛とエネルギーを注ぐのだ。

人の上に立たずに
人の下にいないで
人の真ん中で。