2012年1月30日月曜日

ぴーよぴよ♪

私:「全然ひよこが産まれないんだけどさぁ、どうなってんの?」


父:「おまえは孵化する日数も知らずにニワトリを飼っとんのか!

ひよこが孵化するまで21日。

これは卵が産まれてからじゃなくて、温め始めてからの日数やぞ。

約38度、適度な湿度を保つ事。

バラバラに雛が孵らんよう、一度卵を集めて置いて一気に抱かせるといいんやで。」


昔父の実家は養鶏場をやっていた為、

父は私の中で別名、”加藤ニワトリ博士心平”である。


さっそく卵の周りに水を吹きかけ、適度な湿度を保つよう生徒にもアドバイス。

「産まれろ~産まれろ~」と願をかけて立ち去る。






すると翌日・・・・





う、う、う、産まれてる~~~~~~!




どっかから甲高い声がするかと思ったら、

合計4羽の雛がかえっていました。




大はしゃぎのフレドリック君。

(左手はサッカーで転んだ際に骨折した模様)


いやいや、もちろん偶然とは分かりつつも、

タイミングが良すぎて”加藤ニワトリ博士心平”を恐ろしく思った。



するとその近くでは相変わらずのbabyラッシュの羊の1頭が、

するりと子供を出産した所でありました。







か、かわいすぎる!


それにしてもお前、お母ちゃんそっくりやな!

あんころ餅でも食べた後かのような口の周り。

将来ぐれた息子に嫌気がさして、

「あんたはね橋の下で拾ってきた捨て子だよっ!」

と言い放ったとしても、誰も信じる者はいないだろうと思われる程そっくりな息子。




産まれたての子ヒツジ!といって真似をするギャグがあるけれど、

まさにそんな感じでした。


これでオカンジャ小学校の羊は36頭となりました!





















2012年1月29日日曜日

拝啓 坂じい様

日本では一応看護師をしていました。



現在エイズ対策隊員としてケニアに派遣され、農業をしています。
(病院でも働いてはいますが)




父には「お前は一体そこで何をしているんだ??」

とよく聞かれるもんです。

人生は本当に何があるかわかりません・・・。



祖父は言ってみれば農業のエキスパートで、

大学で講師を勤めていた事もあった。

ひょっとしたらそんな祖父の血を引き継いでおり、

今ここで目覚めたのでは?と私なりに解釈する。

昔祖父の家は養鶏場を運営しており、1,000羽以上のニワトリがおったそうだ。

広大な畑には新鮮な野菜がいつも収穫できた。


私はといえば、畑の手伝いどころか兄や従兄と祖父の邪魔しかした記憶はない。

家にも畑はあるがさつま芋堀って、出くわした幼虫に大騒ぎ。


振り返れば、農業に携わる機会はいくらでもあったにも関わらず、

一切畑に入った事がなかった。




坂じいちゃん。(私の祖父)

あの時ちょっとくらい畑の手伝いしとけば良かったわ。

日本は寒いと聞きましたが、元気でしょうか?

ここケニアは、思い描いている8割方はそううまくいきません。

ケニア人、いい人もいれば悪い人もたくさんいます。

約束事は9割がたすっぽかされ、待ち合わせには余裕で1時間以上遅れてきます。

日本ではあまり人と喧嘩をした事はなかったけど、

ケニアに来た当初は人前でしょっちゅう喧嘩をしました。

つい昨日も、畑をトラクターで耕してもらっていたのだけど、

「土が硬い!機会が壊れる!」

と文句を言われ、途中で逃げられてしまいました。

もちろんお金と共に・・・。

思い通りに行かない事ばかりで時間もいっぱいかかります。

日本にいた時の方が、よっぽど人の為になっていたと思う事もしょっちゅう。

せめて農業の知識さえあればね・・・。


もちろん、私を娘のように慕ってくれる人もたくさんいるので安心して下さい。

耳はだいぶ遠くなっちゃったけど、

何かあればまた色々教えて下さい。

寒いので風邪などひかれませんように。







2012年1月25日水曜日

俺たちの名は「釜戸ビルダー」


「わたくし達、こういう者でございます。

作った釜戸は200個以上、釜戸作りの事ならわたくし達にお任せ下さい。」




ん?

"Professional Rocket Stove Builder"
(プロフェッショナルロケットストーブ型釜戸作り屋)

何だそれ。

カッコイイようで、そうでないような・・・。


「そのお顔、まだ信じてらっしゃらないご様子ですね。

こちらがトレーニング終了した証明書でございます。」

ドイツ援助団体の支援を受け、

数週間ではありますがどうやらちゃんとトレーニングを受けた、プロの釜戸作り屋のようです。


「では、時間もありませんので早速始めさせて頂きます。」




そう言うと、着々と下準備をし作業に取り掛かる”釜戸ビルダー”








「ちょっとちょっとコレ、適当に並べすぎなんじゃないの~?」




「何をおっしゃいますか!

これは計算に計算を重ね生み出された配置なのでございます。

こちらが作り方説明書でございます。」


そう言って見せてくれた説明書には、

よく分からない数字表記が・・・。

「あ、余計な口出ししてすんまへんでした。」




着々と作業は進んでいきます。



8時間後。

釜戸ビルダーにより、1日で釜戸完成。



お鍋を入れたらこんな感じ。

西日が窓から注いでいたせいもあってか、

私には釜戸が光り輝いて見えました。



「作業完了でございます。」





「他にもこのようなタイプの釜戸を取りそろえております。

必要ならばいつでも飛んでまいりますので、お申し付け下さい。」


そう言うと、西日に向かって颯爽と帰って行ったのでありました。




ケニアでは電気・ガスの普及率がまだ低く、

未だに70%以上の家庭が薪や木炭で調理を行っています。

多くの家庭が大きな3つ石を置き、その間で薪を燃やすという方法。


ただこの3つ石を使う方法、

とても火の効率が悪く多くの燃料(薪、木炭)を必要とします。

燃料が多く必要となる為、硬い食材の調理を避けるようになったり、

1日1食で済ましたりする結果となる事もあります。

また薪拾いには多くの時間と労力を要します。


そういった事から、

こういった効率的釜戸作りの支援を行う動きがあります。

協力隊員の中でも村に入り、釜戸作りの支援を行った隊員もいます。

(もちろん、エコを考えるとガスなどがいいんでしょうが)


世界には、その国の状況&需要に応じて、

色んなお仕事があるもんですね。


この釜戸、2週間後より使用できるようになるようです。

給食開始ももうすぐ!かな?!




2012年1月24日火曜日

救済食到着

本日県の教育省(District Educational Office)より救済食が届きました。





以前プロジェクトを開始した際、

県からも食糧支援が頂けないか、県の教育担当官に依頼をしに行きました。


もちろん私たちのプロジェクトを県が把握し、

何かあった際サポートしてもらう目的も兼ねて。


このどでかいオフィスに赤いテーブルクロス!





緊張し強張る顔を必死にほぐしながら、

教育担当官にプロジェクトを説明しました。

オカンジャのプロジェクトにとても好印象をもってもらい、

持続させていく為の貴重なアドバイスも頂きました。



この救援食というもの、

乾期や洪水などの被害で作物が獲れない時期に

ケニア政府より支給され、県の教育省から学校へ支援されるもの。

ただ数に限りがある為教育省も優先順位をつけなければなりません。


多くの小学校は給食のシステムがない為、

除外されてしまいます。

しかし今回プロジェクト内容を把握してもらい、

学校に給食できる準備を整えたオカンジャ小学校。

無事救援食を受け取る事が出来たのです。



トウモロコシ:約100kg
豆:約70kg
油:9L
米:40kg


ニャンド川の畑が再度振り出しに戻ってしまったのですが、

今回の支援により給食プログラムを近々開始できそうです!!

2012年1月23日月曜日

LOVE LETTER from JAPAN その2

ニワトリリーダーのフレドリックが、日本から受け取った手紙を見せてくれました。





ん?サムライ・・・?!

「これはめっちゃ強い昔の日本の兵隊だよ!」

と説明しときました。





可愛い素敵なお手紙がたくさん届きました!!





他の生徒もみんな日本から届いた手紙に興味津々。






お手紙をきっかけに、日本の暮らしに益々興味を持ったようです。

おかげでミニ日本文化紹介を開き、日本の事を説明してあげました。




気分を良くしたフレドリック君、

ニワトリグループメンバーを集めてみんなにお手紙を見せて自慢。















心のこもった素敵なお手紙、本当にありがとうございます!

みんな初めて届く日本からの手紙に大興奮でした。


またケニアよりお手紙書きますね。

2012年1月22日日曜日

LOVE LETTER from JAPAN!

「おい、ユミ!日本から大量の手紙が届いたぞ~!」


何さ、こんな夜遅くに・・・・

と思って出た電話の校長先生は、興奮気味でそう教えてくれました。


(だいぶ前に届いていたようですが、

なかなか郵便局へ足を運ぶ機会がなく、受け取るのが遅くなってしまいました。)



日本の看護学校のみなさんから、大量のお手紙が!!

自慢げに手紙を見せる校長先生。



立派な富士山のお手紙に興味を示す校長先生。

「ん?Mt UJI?? この白いのは雪か?」
(※UJI=ケニアの’お粥’)

卓上カレンダーも嬉しかった様です。



嬉しそうにお手紙を読む校長先生。



3人のグループリーダー宛のお手紙の写真は撮れなかったのですが、

日本からの手紙にもちろん3人とも大興奮でした!


そして何と私にも・・・!


普段滅多に来ない手紙に、生徒同様大はしゃぎしてしまいました。



中には国試で忙しい3年生の皆さんからのお手紙も!

海を越えて、無事アフリカケニアに着きましたよ~!


「日本とケニアの異文化交流」

これは私がケニアでやりたかった活動目標の一つ。


一人ケニアで何かを成し遂げる事は到底不可能だけれど、

きっかけを作ったり、橋渡しをしたり、

そんなことだったら私でもできるし、今の私にしかできない事。


野口健さんも言っていたように、

「知る事とは背負う事」


遠い地球の裏側の、

知りもしなかったアフリカの暮らしを知り、

何かしようとアクションを起こして下さったみなさんに感謝。

「知る」という事は、本当に貴重な事なのだと、実感いたしました。


もっともっとケニアの事を知ってもらえますように。

よし、明日もがんばろう~。












2012年1月16日月曜日

今年もよろしくお願いします


遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。






私事で恐縮ですが、

年末はとうとうケニアにもやってきた登山ブームにのっかって、

”山ガール”となりアフリカ最高峰のキリマンジャロに登頂してきました。

ファッション重視と言いたいところですが、

氷点下の夜を乗り切る為、モコモコに着ぶくれしたスタイルで、

無事アフリカの天辺に行ってきました。

何故ここまでに、高額な金を払い、生と死ギリギリの所を彷徨いながらも、

人は山に登るのか・・・・。

分かるようで、よく分かりませんでした。

(もちろん、登頂した達成感は言葉では言い表せないものがありましたが)



年越しはタンザニア国にあるリゾート地、”ザンジバル島”で、

貴重な海鮮を堪能し、




ついでに空も飛んできました。


山に海に・・・、メラニン色素をがっつり増やし、

次へのステップの良い充電となりました。



任地へ戻るといつもの変わらないのんびりした風景がありました。


↑再テスト中

ケニアの小学校は落第のシステムがあります。

最低ラインを満たせない生徒は、再テストの結果により

再び学年をリピートしなければなりません。



↑両親を呼び落第を告げる校長先生


写真もシビアな感じですが、

ケニアの陽気な明るい国民性もあってか、

意外とみんなあっけらかんとしております。

「落第か~、あはは、全くしょうがないなぁうちの息子は!」

良いのか悪いのかは別として、

どこまでもハクナマタタ精神(心配ないさ!)は根付いているようです。




ニワトリたちも元気です!

一段と大きくなり、雄鶏としての風格が出てきた彼。





卵も日に日に増え、現在約30個近くあります。




頑張って温めておくれよ~。



年末にはクリスマス時期を見計らい、

13羽のニワトリを市場で売りました。




6羽 @ 500ksh
4羽 @ 450ksh
3羽 @ 400ksh

合計6,000ksh(約6,000円)の売上です。


羊はほとんどが妊娠中であったため、

雄1頭を3,000kshで売りました。

ニワトリ・羊の売上合計金額は9,000ksh(約9,000円)です!

着々と成果が表れてきた今回のプロジェクト!

と、思っていた矢先、

ニャンド川沿いの畑に植えたトウモロコシが枯れてしまっていました。


ユニークな土壌の性質のせいで、

土がカチカチに固まってしまっていました。


もう一度農業省の方と話し合い、

土壌をアセスメントし直して一からやり直しです。


最近の予測不可能な天候や畑の性質を見極め、

作物を育てていくのはそう容易い事ではないと改めて実感。


一日1歩、3日で3歩、3歩進んで2歩下がる・・・



気を取り直して再スタート!!